福島キリスト教会 から 聖書のメッセージ

日曜礼拝で語られている聖書からのメッセージをUPしています。

【礼拝説教メモ】ヨブ記を読む人のために(2月17日 礼拝配布資料)

【礼拝説教メモ ヨブ記を読む人のために】

 

ヨブ記の全体構成> (戯曲・演劇や対話篇のような構成)

1-2章

3-14章

15-21章

22-31章

32-37章

38章-42:6

42:7~17

プロローグ

友人との討論①

友人との討論②

友人との討論③

エリフの語り

主の語り

エピローグ

 

◆ 物語のプロローグ (1章~2章11節)◆

ヨブは、アラビアのはるか東方の砂漠に住む異邦人、潔白で正しく敬虔な信仰者であった。10人の子供(7人の息子と3人の娘)、多くの家畜(羊7000、らくだ3000、牛500、雌ろば500)=大富豪

 

◆天上の世界における 神様とサタンの対話◆

(1章6節~12節)(2章1節~6節)

 

サタンの言い分 ⇒ ヨブの信仰も所詮は「ご都合主義」「ご利益信仰」にすぎない

神様の反論 ⇒ 「現世利益」(子孫・繁栄)を失っても、義人ヨブは敬虔な信仰から離れない

⇒ ヨブの10人の子供たちが急死、全ての資産を一夜にして失う。

 

サタンの言い分 ⇒ 彼自身の身に災いが臨んだならば、彼は信仰から離れるはずだ

神様の反論 ⇒ 「彼自身の健康」を失っても、義人ヨブは敬虔な信仰から離れない

⇒ ヨブの全身にひどい腫瘍ができる。

 

◆3人の友人との論争 (3章~31章)= ここがヨブ記の中心!

 

ヨブ記の構造はサンドイッチ型

よく知られた古い昔話に、膨大な量の討論(詩文)が戯曲や演劇のような形で作者によって新しく挿入(3章~41章)されており、その新しい挿入部分に「預言書」とも共通する思想が展開されている。

 

作者は不明であるが、内容的にはエレミヤ書イザヤ書などの預言書に共通性を感じさせる。

⇒ それまでのユダヤ教(旧約律法)を超え出る思想が盛られている

・因果応報説の批判、来世観、最後の審判、仲保者の待望など

 

◆エリフの語り(32章)、神ご自身の登場(38章)

 エリフの主張 ⇒ 「苦難」は神による「教育・訓練」であるという思想。(cf:ヘブル書13章)

神ご自身の語り ⇒ ヨブに対して何を語られたのか?ヨブはどう受け止めたのか?

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 ◆ 「ヨブ記」を読む上での大切な前提(おやくそく)◆

 

① ヨブを「罪を犯したことが無い義人」として捉えること。

ヨブ記を読む際の最大のポイント は 「ヨブを最後まで正しい者」とみなして読むこと。

友人たちの批判に乗っかって、ヨブも無意識に罪を犯したに違いないと考えると、ヨブ記本来の趣旨から外れてしまう。

 

② ヨブの苦難の真の原因である「天上での出来事」(神とサタンの問答)は、最初から最後まで、地上に生きる人間ヨブ に対しては「隠されている事柄」(秘儀)であることに着目する。

 

⇒ 人間には分かりえない領域、人知が及ばない啓示の領域として最後の最後まで残されている。(神があえてヨブに答えなかった内容)

 

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ユダヤ教的な「因果応報説」の限界

 

「正しい者」には「財産、繁栄、幸い」が与えられ、「悪しき者」には「裁き」が与えられる。苦難は「罪」の結果である。

 

⇒ お前は隠れた罪を犯したに違いないと断罪する友人たち。

⇒ 「正しい者」が苦しみを受け、「悪しき者」が裁かれない。この現実とどう向き合うのか?

 

この世において「因果応報」は完結していないではないか?とヨブは反論する。悪人ほど肥え太り、神の懲罰を恐れることなく、弱者や善人を権力と富によって虐げているのが現実ではないか。

 

⇒ ヨブと友人たちの討論は 永遠の平行線を辿る。

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◆「主の裁き」はいつ来るのか?◆「死者」がどう扱われるのか?

 

⇒ 善人は必ずこの世において報いを受ける、と旧約律法(ユダヤ教)は言うが、結局死んだら全員が「薄暗い黄泉の国」に集められる点では、悪人と最後の行き先・処遇は何も変わらない。

 

⇒「因果応報」は、この世と来世をまたぐものでなければ意味が無い。ユダヤ教の因果応報論は「現世の視点」だけで閉じているがゆえに不完全である。

 

⇒ 審判者である神による超越的な善悪の裁きがいずれ為される、ということが保障されなければ「因果応報」は完全になりえない。

⇒ 現世を越えた「来世における救済」を待ち望む。(従来のユダヤ教の現世主義を超越する視点、預言書にも通じる来世観)

 

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ヨブ記に込められているメシア待望の思想

 

「神」と語りたい。なぜ私を苦難と試練で打たれたのか?

私にいったいどのような悪があったのか? 

 

「神」は私をご覧になられるが、人間はあなたと直接語ることができず、間にあってとりなして下さる「仲介者」もいない。

 

⇒ 神と人の仲介者(救い主キリスト)を待望するヨブ

 

このように、ヨブ記の内容はほとんど「預言者文学」といってもよい内容であり、旧約聖書ユダヤ教)の限界を超え出るような来世観・終末論・メシア待望がヨブの語りを通して展開されている。

時代的には、旧約と新約の橋渡しの時期に書かれたのではないだろうか。

 

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◆「神に委ねる信仰」へ導かれるヨブ

 

ヨブ記の本質は「解決なき解決」「答えなき答え」 

⇒ ヨブの苦難の本当の原因は、最後の最後までヨブには教えられていない。(=天上における神とサタンの会話)

 

なぜそれなのにヨブは納得したのか?

なぜ神に委ねる信仰に導かれたのか?

 

地上の人間が知りえることなどいかにわずかな事柄であるか?

神のみが知りうる隠された知恵と摂理がいかに広大な領域に及んでいるか?

⇒ 人知をはるかに越える神の全知全能と摂理に圧倒されたヨブ