福島キリスト教会 から 聖書のメッセージ

日曜礼拝で語られている聖書からのメッセージをUPしています。

一粒の麦として(ヨハネ12章20節)

本日は四旬節第一主日です。レント(四旬節)に入りました。 ヨハネ福音書では12章前半からエルサレム入城の場面となっています。本日の箇所(20節以降)はエルサレム入城直後の出来事を描いています。 異邦人=ギリシャ人の改宗者がイエスに会いにやって来…

苦難と不条理の中にあって神を仰ぐ【ヨブ記】

日本人は正月になると初詣に出かけて、無病息災、商売繁盛を願います。 何か「ご利益」が得られるからこそ信じる = ご利益信仰 といわれます。 聖書の信仰は、ご利益信仰と どう違うのでしょうか? 先月、詩篇119篇71節「苦しみにあったことは善いことでし…

【礼拝説教メモ】ヨブ記を読む人のために(2月17日 礼拝配布資料)

【礼拝説教メモ ヨブ記を読む人のために】 <ヨブ記の全体構成> (戯曲・演劇や対話篇のような構成) 1-2章 3-14章 15-21章 22-31章 32-37章 38章-42:6 42:7~17 プロローグ 友人との討論① 友人との討論② 友人との討論③ エリフの語り 主の語り エピロー…

2018年 クリスマス礼拝 メッセージより(ルカ福音書 2章前半)

<ベツレヘムへの旅> ダビデの家系であったヨセフは、皇帝アウグストゥスの戸籍登録令のため遠いベツレヘムの町まで行かねばならなかった。140kmの道のり。身重であったマリヤを連れての長旅であった。 しかし、ベツレヘムに着くと、すでに公共の施設や宿は…

罪人のわたしを憐れんでください(ルカによる福音書 18章9~14節)

本日も、イエス様の譬え話から1つを取り上げてみたいと思います。 譬えには日常感覚とのズレがあり、それが福音の驚き、神の国と世の国の違いを指し示すポイントとなっていることを繰り返してきましたが、この譬えではどうでしょうか 義とされて家に帰った…

純粋な愛をもって主を慕う(「雅歌」より)

冬に閉ざされたガリラヤの田舎村(農村)に、自分の所有する「ぶどう園」の視察に訪れる宮廷の王が、シュラムの女に呼び掛けて「春の郊外デート」に誘っている。 「わが愛する者よ、ひき籠もっていないで、立って外へ出てきなさい」(=呼び掛け) 「私たち…

旧約聖書「伝道の書」(コヘレトの言葉)を読む

<本書のテーマ> 「人生に何の意味があるか? 本当の幸福とは何か?」 本日は、ノンクリスチャンの方もおられるので、聖書の世界観や人生観に触れるキッカケになれば、と思い、難解なことで有名な「コヘレトの言葉」をあえて選んでみました。 「人生には何…

「種蒔きの譬え」(マルコによる福音書 4章)

<「譬え」で語ることの意味> ガリラヤの湖畔にイエス様がおられると、おびただしい数の群衆が押し寄せてきた、と1節にあります。イエス様は舟に乗って、湖の方から岸辺にいる群衆たちに対してこの譬え話を含む説教をされたという状況です。 ここには、大…

「新しい人」を着るように (コロサイ人への手紙 3章)

コロサイ書やエペソ書は「獄中書簡」と呼ばれ、パウロが牢につながれているか軟禁状態にある最中に書かれた手紙と言われています。 コロサイ書、エペソ書、またヘブル書などは、どこかの特定の教会だけの個別的問題を扱った手紙というよりも、当時の地域教会…

「アポカリュプシスー黙示ー」(ヨハネの黙示録 から)

聖書の最後の書である「ヨハネの黙示録」からメッセージを戴きたいと思う。聖書の中で一番難しいとも言われる書。 何事も「はじめと、おわり」が肝要である。 「創世記」は世界と人間、堕落と罪と救い、すべての始まりを記しており、最後の書である「黙示録…

「放蕩息子の帰還」~ 救いに導く悔い改め とは何か?

2018年3月の礼拝メッセージから【ルカによる福音書15章11節~】 <放蕩息子の家出/相続分の生前分与> 父の死後、相続時にもらうはずの「大事な遺産」を父親からもらい受けるとすぐに、父親の元を離れ、遠い異国に出て行ってしまいます。 ⇒ 息子は父そのも…

生涯全てが「絶えざる洗礼」である(ローマ書7章より)

「洗礼の意味」を振り返る -しるしと約束- 「洗礼」の語源は「水に沈める」という言葉であり、水中に全て沈められて、またそこから引き上げられることを含んでいる。「完全に沈める」と「引き上げる」の2つの要素がそこにある。 ⇒ ローマ書 6章の「洗礼論」…

あなたも聖なる祭司となって(ペテロの手紙第一 2章5節)

<「万人祭司主義」による「教会観」に立ち帰る> 宗教改革(プロテスタント教会)の3大テーマはなにか?「信仰義認」「聖書主義」「万人祭司主義」である。 ⇒ 中世以前の教会観は「教会」は 聖職者の組織(位階)という考え方で成り立つ。 一般信徒は「教会…

人間とはいかなる存在か? 聖書が語る罪とは何か?

2018年2月4日 礼拝メッセージ 【創世記 1-2章より】 私たちが偶然に出来上がった存在ではなくて、意味と目的をもって、限りない御愛をもって私たち1人1人をお造りになられた神がいらっしゃる。 創世記の人間論(神がどのような存在として、他の被造物とは全…

十字架の言葉は愚かであるが、救いに与る者には神の力である

2018年1月21日 礼拝メッセージ 【第1コリント 1~2章】 2:1兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。 2:2なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリ…

律法から福音へ (ローマ人への手紙 3章21節)

使徒パウロが書いた「ローマ人への手紙」は「救い」「福音」とは何か?ということが異邦人読者に向けて丁寧に順序だって説かれている書簡です。 信仰の養いのためにも重要な内容が含まれており、折りに触れて何度も繰り返し読み返し、読みを深めていって頂き…